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ニッコウテンチョウ

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1
24日の会議にて27日に宮城の被災地支援の炊き出しを行うことになりました。日程のない中26日午後から有志に公民館調理室に集まっていただいて炊き出しの下ごしらえを行いました。メンバーの奥様・お子様・メンバーのお知り合い・塚本事務局員、総勢20名程度で準備を行いました。
2
にんじん・大根などをいちょう切り、肉をいためてそれぞれビニール袋に入れて現地でお湯を沸かし混ぜて味噌、酒、塩など調味料を入れて仕上げるというものでした。
 お忙しいところご協力いただいた皆様ありがとうございました。
3
今回現地より依頼された物資は、新品の下着、靴下のみです。また、ママさんメール、私の保育園関係のママさんたちに声をかけさせていただき善意の品をいただきました。1日しか時間がなかったにもかかわらず持ってきていただいた皆様本当にありがとうございました。しっかり届けてきます。
 しかし、いただいたものだけでは足りず、女性ものショーツや男性物のトランクス・ブリーフ、起毛の女性もの靴下などを買付け積み込みました。
5
今回バスを手配しました、運転手はメンバーでもあるはぎわら観光の萩原君です。矢板インター前でのセブンイレブンで出発したところエンストしたため、大丈夫か?と一瞬不安になりましたが、さすがプロあとですごいものをみせてくれました。
4
 出陣前のバスの中の様子です。今回参加してくれたメンバーは、真岡JCから16名、茂木町の大兼製麺の大金さんをはじめとする茂木焼きそばチームが5名、柚木直前理事長の息子さんと友達、そして看護師の須藤さん、古河JCから9名の古河チームの総勢33名で向かいました。今回大兼製麺さんは、500名分の麺と人的支援をいただき参加いただきました。何か少しでも役に立つことができればということで、とてもうれしいです。
 今回のメニューは、トン汁うどんということで、うどんは豊田OB会長に500名分のソフト麺を頼みましたが、なんと提供いただけるということでありがたく使わせていただきます。ありがとうございます。
5
朝4時30分に真岡を出発し、宇東梱包運輸さんで栃村君をのせ、矢板インターから東北自動車道で北へ向かいます。途中福島付近では、道路の段差が見られてかなりバスが揺られました。宮城に入り富谷ジャンクションから仙台北部道路に入り塩釜から多賀城市に入りました。そこで塩釜JCの鈴木理事長とずっと情報をいただいて対応していただいていた塩釜JCOBの矢部先輩を御挨拶させていただきました。お二人とも大変な状況にもかかわらず、明るく元気に頑張られていました。
 もう11時になっていたため急ぎ指示をいただき行動し始めました、多賀城キャッスルホテル裏で茂木焼きそばチームと今井君、関沢君が炊き出しを行うため、資材を下ろしました。500食の焼きそばをふるまう予定です。
 さらに支援物資の仕分け作業のため、柚木直前理事長と息子さん、お友達、須藤さんがここで降りて作業に向かいました。塩釜JCさんは、飲料水を避難所に細かい配給を行っているため手一杯のようで、入ってきたJC関係の支援物資の仕分け作業ができていないということで要望されました。
6
残ったメンバーは、さらにバスで石巻市を目指します。三陸自動車道を通り向かいましたが、一般車両が高速道を通れるようになったため、渋滞していました。緊急車両か一般車両かの区分けを途中行っていまして、かなり時間を食いました。高速を出てから石巻バイパスを通りました。泥だらけの両脇の店舗があり、ひどい状態でした。1メートル50センチぐらい津波が来た様子が店舗のガラスについた線を見るとわかります。
7
旧北上川を渡ると周囲の様子がさらにひどくなります。車がガードレールに乗っかっていたり、店舗の1階部分に車があったり、女川街道に入りますと、さらにさらに恐ろしい光景となりました。
8
ためいきしかでません
9
こんな姿にしてしまう津波の恐ろしさが目に焼きつきます
10
被災直後はこの道路も瓦礫の山で自衛隊がサイドに瓦礫をよせて道路を作ったのがわかります。船や大型トラックがひっくり返り1階部分が倒壊した建物、全壊した建物が町中に広がっており、目を覆いたくなるような光景です。
11
石巻市立万石浦(まんごくうら)中学校が本日の炊き出しの場所で、そこに近づくにつれ皆言葉は少なくなり、緊張感が高まり、もくもくと準備をはじめました。

ここでボランティアの心得
○配給中は飲食を行わない
○トイレにいかない
○煙草を吸わない

我々のふるまいで被災者の気持ちを損ねないようメンバー一同徹底して臨みます。


12
万石浦中学校の校庭は泥だらけでしたが、校舎は津波を逃れたようでした。その入口に場所をいただきまして、炊き出しの準備に取り掛かりました。バスの中でのやりとりで、昼に間に合わないため4時30分からの配給に間に合うように準備してくれと言われていましたが、現場につくといつできるかと聞かれ、最速2時30分にできますと答えました。この避難所では、行政の方はいなく、他の地域から来られたボランティアの方が担当されておりました。しかし、統制はとれていないようで、リーダー不在の状態のようでした。
 この日から電気が来たということで、2時半からの配給のお知らせを放送で行うと、2時頃から人がどこからともなく並び始めました。統制をとる現場の方がいないため、いつも並ぶ場所が我々がわからず、配膳場所を急きょ変更する事態になり大変戸惑いました。
20
 2時半から配給がスタート、温かい食べ物は被災以降2回目だそうです(しかも1回目のときは全員に渡らず)並んでいる被災された方は、皆静かで、当然笑顔がなく、やはり元気がありません。お子さんも笑顔はなく私たちもかける言葉が見つかりません。とてもせっぱつまっている印象でした。私たちは、一生懸命配るしかありません。
15
配給が始まり、並んでいる人から箱段ボールはありませんか?と聞かれました。いままでこんなに運ぶ配給がされなかったことがこのことでわかりました。次の機会は、お盆も付けて配給しようと思いました。
14
 この避難所の人数は700名と聞いておりましたが、配っても配っても列が途切れることがありません。メンバーは心を込めまして一生懸命頑張り続けます。本日はじめての配給だそうです。ほんとおそくなり申し訳ありませんでした。
16
500食用意したうどんがなくなりましたが、まだ列は途切れないため、トン汁に残っている豆腐、ニンジンを入れてトン汁のみを配り始めました。
13
その数約150食、豆腐をパックそのまま醤油をかけたものなどある食材を片っ端から出し続けます。
18
いただいていた厚揚げを阿部君が醤油とお酒と塩でにつけ(さとうはなかったのです)ねぎを添えて作りました。
それも一瞬でなくなりすべて終了となりました。合計650食以上。
 古河JCさんも山下清が食べるようなおむすび、おしんこ、シチュ-を600食提供し、やはりすべて完売しました。
 私たちのほかにパキスタンから炊き出しに来られていた方々も一緒で、彼らは夕食を担当するそうです。
古河さんと合わせて1300食がすべて行きわたり、やっと避難所に少し安堵の雰囲気になったことが感じられました。
 この規模の避難所が10数か所あるそうです。
17

 ゴミをすべて片付けて、何も残さないように皆でトラックに機材をのせて無事ミッション完了となりました。
多賀城市での茂木焼きそばチームも自宅被災者が対象で500食すべて完売したようです。
 塩釜JCOBの矢部先輩が駆けつけていただき、ありがとうと感謝のことばをいただきました。
こんな大変な中でも、譲り合う気持ちを持ち合わせているこの地域の方々に頭が下がりました。日本人は本当にすばらしい!!!

帰りは比較的スムーズで11時過ぎに全員無事で真岡に到着いたしました。
早く被災地の方々が、温かい食べ物・温かいお風呂・温かい寝床につけるよう、私たちは微力ながらお手伝いをし続けていきたいと思います。
 今回メンバーがたくさん参加してくれて、現場を見てくれました。テレビで見るのとは大きく違うということに気づきました。そして、炊き出しのニーズが間違いなくあるということを確信しました。
 栃木の皆様にこの現状を伝えて、サポートのネットワークを構築できれば、もっともっとたくさんの人を救うことができる。
 真岡JCだけで1000食作るのは厳しいので、栃木の他の青年会議所と協力して1000食提供できれば一つの避難所で平等に提供できます。

現場にいったら迷惑がかかるからといわれている方がいますが、とんでもない何人いてもいいです。やることは無限にあります。そして被災者は疲労困憊しています。


これからも継続して頑張ってまいります。皆様一緒に頑張りましょう!
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